しものトレーナーズオフィス しもの まさひろさん
| 1998年 | 高校卒業後、部隊の駅伝選手になるべく、陸上自衛隊入隊。部隊の代表として競技を続ける。 |
|---|---|
| 2002年 | 怪我と成績不振のため、除隊を決意。スポーツトレーナーを目指す。 |
| 2003年 | 日本カイロプラクティックドクター専門学院(以下JCDC) 札幌校 入学 整骨院勤務 |
| 2004年 | 整形外科リハビリテーション科勤務 |
| 2005年 | しものトレーナーズオフィス開業。出張施術を中心に活動。 フィットネス資格取得 |
| 2006年 | 運動指導事業開始 |
| 2007年 | 道内 テレビ情報番組(HTB)体操コーナーに抜擢。あへあほ体操の普及活動を始める。 |
| 2008年 | あへあほ体操が全国誌で特集される。 |
●フィットネス
各運動教室での運動指導(民間スポーツ施設、公共施設)
企業訪問
●個人施術
カイロプラクティック施術、パーソナルトレーニング
●その他
イベント・講演、メディア出演、小冊子の出版
http://shimo-tore.com/index.html
--入学するまでの経緯を教えてください
「自衛隊で選手生活を送る」という夢を、突然怪我で失ってしまったときから、過ぎていく時間がとても意味のないものに感じました。
確かに、給料もボーナスもしっかりもらえて、安定しており、楽ではありました。しかし仕事に誇りも持てず、目標も持てず、ワクワクすることがなくなって、流されるだけの毎日でした。
そんな毎日に疑問を感じて、「一度きりの自分の人生、やりたいことを自由にやろう」と思い立ったとき、スポーツトレーナーという言葉が浮かんできたのです。
--カイロプラクティックを学ぼうと思ったきっかけは?
スポーツトレーナーになるには、トレーニングの技術・知識のほかに、基礎医学などの専門知識、そしてスポーツマッサージの技術が必要だと考えました。
トレーニングの技術・知識は、学生時代から社会人までの選手生活の中で勉強していましたし、実践もしていました。
自分に不足しているのは基礎医学やスポーツ医学、そしてマッサージの技術です。カイロプラクティックを学ぶことで、それを身につけようと思ったのです。
JCDC 札幌校に決めた理由は?
JCDC 札幌校に決めるまで、実はたくさんの学校を調べて見学にも行きました。
鍼灸、あんまマッサージ、整体、カイロプラクティック...
あまりにもたくさんの資格や技術、学校があることに驚きました。
そうした中でJCDC 札幌校を選んだ理由は、
- 基礎医学の授業数の多さ
- 実践的なカイロプラクティックの授業内容
でした。
授業見学にも参加しました。
その時点では私は素人だったので、今授業で何をしているのか、まったくわかりませんでした。しかし、先生達の熱意や信念のようなものが伝わってきて、「ここで勉強したい」と強く思いました。
4月に入学してすぐに、卒業後はスポーツトレーナーとして独立することを決意しました。その足がかりに、どこか医療機関で働きたいと考えた私は、5月から整骨院で勤務を開始しました。2年目は整形外科のリハビリテーション科の職を自分で見つけてきて、勤務することにしました。自分で治療できるようになり、また、キャリア的にもハクをつけられればと考えたのです。
夢をかなえるために、1つ1つ行動していきました。
--入学して一番感じたことは、何ですか?
学院全体のモチベーションの高さです。
生徒も必死で将来のことを考えていて、それに講師が応えようと熱意を持って授業をする。そのくり返しで、あっという間に2年間が過ぎていきました。
テストが終わると、みんなで飲みに行き、朝までカイロプラクティックのマニアックな話をしていました。
卒業式でほとんどの生徒が泣いていたのが印象的です。
--JCDC 札幌校を卒業したあと、どのような活動をされたのですか?
最初はオリンピックの強化トレーナーになりたいと思っていました。そのためには資格や実績が要求されましたが、私は資格をとるよりもトレーナーとして有名になった方が、目標に近づけるのではないかと考えました。
--そのためにどのような行動をされましたか?
トレーナーとして有名になるには、露出を高める必要があると考えました。
次に、露出を高めるためにはどのような方法がよいか考えましたが、テレビに出ることが近道だと思いました。
それでは、テレビに出るためにはどうすればよいか。本を出すことだと思い、JCDC札幌校在学中にお世話になった病院の先生に監修をお願いし、小冊子の出版を実現させました。
また、その頃、JCDC 札幌校で学んだ専門知識を生かしながら、自分にしかできないことをやりたいと思うようになりました。
誰でも楽しく運動をしてほしい。
そんな願いから考え出したのが「あへあほ体操」です。
--その結果はいかがでしたか?
出版した小冊子への反響が大きく、驚きました。
新聞にも掲載され、その日から問い合わせや注文が殺到。
その後、様々なメディアでも取り上げていただけました。
そのとき改めて、運動したいと思っている方がこんなにも多くいらっしゃるのだと実感することができました。
さらに運良く、テレビ局から声をかけていただき、運動のコーナーを担当させていただくことになりました。
テレビに出るようになって最もよかったことは、表現の仕方をメディアの方から教わったことでした。それまでは運動や効能を難しく説明してしまっていたのですが、もっと簡単にわかりやすく表現するにはどうすればよいか、それを学ぶことができており、自分にとって大きな財産となっています。
--自衛隊で夢をあきらめた頃を振り返るといかがですか?
今、最も感じることは、何が起きてもあわてなくなった、ということです。
言い換えると、自分の基礎や軸がしっかりしたため、「ブレなくなった」ということです。
自分の軸とは何か。それは、実はカイロプラクティックの知識と技術です。
筋肉にたとえると、インナーマッスルなのです。
この知識と技術があるから、ほかのスポーツトレーナーには負けない、そう信じています。

--今も夢はオリンピック選手のスポーツトレーナーですか?
いいえ。これまでの活動で、運動指導の面白さを知ることができました。
今は、自分にしかできない運動指導をもっと発展させて、より多くの人に運動の楽しさを知っていただくことを目標にしています。
具体的には、3年以内に、あへあほ全国区を目指します。
インターネットで情報発信しており、それがきっかけで先日も全国誌にあへあほ体操の特集が組まれました。ここからあへあほが少しずつでも広がってくれたらと思っています。
ただし、あへあほ体操は一つのきっかけと考えています。
あへあほ=しもの
という構図は少しずつ浸透してきたと実感していますが、
しもの=あへあほ ではなく、
しもの=ウンドー
となるように、今後も活動を続けていきたいと考えています。

















